学びがもたらしてくれるものについてふと考えてみる
先日、会社に新しくエンジニアの方が入社された。
彼はリファラルでの入社だったのだが、彼も、彼を引き入れたエンジニアもブログを書くことをライフワークのように愛してやまない人たちだ。
ブログを書くのが好きすぎて、ブログを書くためのコミュニティに参加し、ノルマ(!!)も自分自身に科しているらしい。
あまりに楽しそうにブログを書くことを周囲に勧めているので、ぼくも「たまには少し書いてみようかな」と感化され、まんまと記事を書いている。
彼らがブログを書く楽しさについてひとしきり盛り上がっているときに、一人の社員がこんな疑問を口にした。
「自然と生まれるものなんですか、書く内容って。それともノルマがあるから生み出せるのですか?」
彼らの回答は
「両方かなー」
「ノルマがあるとネタだしする癖はつくかと」
といったものだった。
このやりとりを見たときに、ぼくは「人間は意識したものに関連する情報を無意識に探してしまう」という話を思い出した。
ちなみにこれはカラーバス効果というらしい。
意識した色(color)が、浴びる(bath)ように目に飛び込んできてしまうからこんな名前なのだそうだ。
人間は、自分にとって興味のないものは、視界に入っても情報として受け取りません。 逆に、関心のあるものだけを受け取る仕組みになっています。 つまり、自分の興味関心というフィルターを通して世の中を見て情報を処理しているわけです。
新しい何かについて知ったとき、それそのものや関連するものが気になるようになったという経験を誰でも一度はしたことがあるんじゃないかと思うが、これもカラーバス効果なのかなという考えがよぎった。
つまり、新しい知識を得ると、その知識に関連するものの見え方が変わったり、関連するものに興味を持つようになるということだ。
興味がなければ視界に入らないかもしれないが、何の予備知識もなければそもそも興味すら持てない。
知識があるから興味が湧き、興味があることで視界に入るようになる。
重要なのはここからで、視界に入るようになり、情報を受け取るようになると、必然的に関連する情報も手に入るようになる。
ここで得た情報についてさらに考え、調べ、行動することによって新たな経験を得ることができる。
経験と知識との差異を発見することもあるかもしれない。元からあった知識と経験とを組み合わせることによって新たな洞察を得られることもあるかもしれない。
こうして得られた新たな知見で持って世の中を眺めると、今度はさらに新しい情報が飛び込んでくるようになる。
知識をただ取り入れるだけじゃなくて、そこから興味を広げ、行動し、考え、まとめることによってはじめて学ぶことができ、それが新しい情報を運んできてくれる。
だから学ぶということは、月並みだけど「自分の世界を豊かにしてくれること」なのだと思う。
ココ・シャネルは晩年、
私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、 まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。
一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。
その分だけ人生と世界は単純になっていく。
だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい
と言ったらしい。
学ぶことの楽しさを凝縮した、きれいな言葉だと思う。
冒頭で触れた、ブログをライフワークとしている彼らは、「ブログを書く」という行為を通じて、新しい何かに気づき、調べ、考えをまとめ、記事にすることで、世界を日々豊かにしているのかもしれない。
そう思うと、「もっと書いてみようかな」という気持ちも湧いてくる。
ぼくがその境地に至れるのがいつなのかは分からないが、感化されながらちょくちょく書いていけたら嬉しい。